「黄金の国ジパング」という言葉は、13世紀のイタリアの商人・旅行家マルコ・ポーロが記した「東方見聞録」に登場し、日本であるといわれています。しかし、由来や歴史的背景を知らないと、黄金の国ジパングがなぜ日本を指すのか疑問になるのではないでしょうか。
この記事では、黄金の国ジパングが日本であるといわれる背景やマルコ・ポーロとの関係を紹介します。また、黄金の国ジパングにまつわる事実と誤解や金の価値と現在の買取事情まで解説しているため、ぜひ最後までご覧ください。
金相場1g10,000円以上の過去最高水準!
今が売り時
他店に負けない金の高価買取を実施中
金の買取なら、「玉光堂」の高価買取の「玉光堂」まで。
【目次】
1.黄金の国ジパングとは?
黄金の国ジパングとは、13世紀のイタリアの商人・旅行家マルコ・ポーロが記した「東方見聞録」に登場する日本の古称です。続いて、以下について解説します。
- ジパング=日本とされる理由
- ジパングが日本でないとされる説
- マルコ・ポーロが日本を訪れていないとされる理由
- モンゴル帝国時代におけるジパングの存在
- 当時の日本での金事情とジパングの関係
それぞれ解説していきます。
1-1.ジパング=日本とされる理由
ジパングという名称は、13世紀のイタリアの探検家マルコ・ポーロが記録した「東方見聞録」に由来しています。ポーロは中国を訪れた際、日本を「ジパング」と呼び、豊かな金鉱を特筆しました。
ポーロが伝えた情報はヨーロッパに広まり、日本が「黄金の国」として知れ渡ります。一方、日本では「ジパング」という呼称は使われていませんが、海外との交易を通じて、最終的に「日本」に国名が変わったとされています。
1-2.ジパングが日本でないとされる説
「黄金の国ジパング」は、13世紀にマルコ・ポーロが記した『東方見聞録』に登場する言葉ですが、一部の説ではジパングは日本ではなく現在の台湾や中国南部、インドネシアの一部を指すともいわれています。
また、マルコ・ポーロが実際に日本を訪れていたかどうかは定かではありません。記述が誇張されていた可能性も考えられるため、ジパングが日本を指すのかどうかは賛否があります。
1-3.マルコ・ポーロが日本を訪れていないとされる理由
13世紀のヴェネツィア商人マルコ・ポーロが記した『世界の記述』のなかで、日本を「黄金の国」と称賛して豊かさを伝えました。
しかし、実際にはポーロが日本を訪れた証拠はなく、記述は聞き伝えや噂に基づいていると考えられています。また、中国や東南アジアを訪れたものの日本には到達しなかったとされており、ジパングの記述が実際の日本とは異なる点もあるため、その真偽はわかっていません。
1-4.モンゴル帝国時代におけるジパングの存在
モンゴル帝国時代、ジパング(日本)はヨーロッパやアジアの商人たちによって「黄金の国」として知られていました。モンゴル帝国の大元ウルスは、13世紀末に中国を支配したあと、海を越えて日本に侵攻しようと試みました。
最初の元寇(1274年)と第二次元寇(1281年)は、日本を支配下に置くのが目的でしたが、いずれも失敗に終わります。しかし、この時期にジパングの名前がヨーロッパにも広まり、とくにマルコ・ポーロの『東方見聞録』において日本の豊かな金資源が紹介され、世界の地図にも記されました。結果的にモンゴル帝国による圧力と影響は、ジパングの歴史に大きな足跡を残しています。
1-5.当時の日本での金事情とジパングの関係
当時の日本での金事情とジパングの関係を紹介します。
- 中尊寺金色堂とジパングのイメージ形成
- 佐渡金山が果たした役割
ひとつずつ解説します。
1-5-1.中尊寺金色堂とジパングのイメージ形成
中尊寺金色堂の豪華さは、ジパングのイメージを形作る一因となり、金が象徴する富や神聖さが、世界における日本の特異な地位を強調する役割を果たしました。
中尊寺金色堂は、平安時代末期に建造された寺院で、豪華な金の装飾が特徴的です。金色堂は、当時の日本における金の重要性を象徴しており、金を使った装飾は権力と繁栄の象徴とされていました。そのため、金色堂の輝きは、金の持つ神聖さや権威を強調し、当時の政治的・社会的な背景とも深く関連しています。
1-5-2.佐渡金山が果たした役割
15世紀から16世紀にかけて、日本では金の需要が急増し、とくに戦国時代には軍資金として金が重要視されました。そして、佐渡金山は日本の金の主要産地として、とくに注目されました。
佐渡金山での金の採掘は日本国内だけでなく、貿易を通じて海外にも流通し、当時の経済に大きな影響を与えています。また、ジパングは豊富な金の供給源によって、ヨーロッパやアジアの商人にとって魅力的な存在となります。
結果的に「金の国」として知れ渡り、佐渡金山は日本の金事情を支える中心的な役割を果たし、江戸時代にかけて経済発展に貢献しました。
2.黄金の国ジパングにまつわる事実と誤解
黄金の国ジパングにまつわる事実と誤解を紹介します。
- 日本の文化とジパングの事実が合致している部分
- 黄金の国ジパングと事実が異なる部分
それぞれ解説します。
2-1.日本の文化とジパングの事実が合致している部分
日本の文化とジパングの事実が合致している部分は、以下のとおりです。
- 黄金の建物のモデルは中尊寺金色堂
- 仏教文化における偶像崇拝や埋葬の風習
ひとつずつ解説します、
2-1-1.黄金の建物のモデルは中尊寺金色堂
日本の文化とジパングの事実の合致点として、「黄金の建物」のモデルとして挙げられるのは中尊寺金色堂です。中尊寺金色堂は、平安時代の仏教文化を象徴する建物で、金箔で装飾された内装が特徴的です。
美しい金色の装飾は、当時の日本における仏教の影響力と、金の価値を反映しています。ジパングが持つ「金の国」としてのイメージは建物や文化的背景と深く関連しており、金色堂はその象徴といえます。
2-1-2.仏教文化における偶像崇拝や埋葬の風習
仏教文化における偶像崇拝や埋葬の風習は、日本文化とジパングが合致している点です。仏教が伝来後の習慣は、ジパングの文化と深く結びついており、伝統的な価値観や儀礼の一環として今も受け継がれています。
たとえば、亡くなった人々に対しては仏教の儀式を重んじ、供養や墓参りが大切にされています。日本に仏教が伝来して仏像や寺院が神聖視されると、信仰の象徴として重要な役割を果たしました。仏像の前で祈りを捧げることや、仏教の教えに基づいた埋葬方法が根付いたのも、仏教文化の影響によるものです。
2-2.黄金の国ジパングと事実が異なる部分
黄金の国ジパングと事実が異なる部分は、以下のとおりです。
- 食人文化の記述
- 香辛料が豊富であるとされた理由
- 矛盾する情報が生んだ誤解
ひとつずつ解説します、
2-2-1.食人文化の記述
ジパングの「食人文化」に関する記述は、現代の日本の視点から見ると事実と異なる部分があります。東方見聞録の著者であるマルコ・ポーロは、日本における食人の習慣を報告していますが、当時の誤解や誇張も含まれていると考えられています。
実際に、16世紀の日本には食人の習慣は広く存在していません。限られた地域や特殊な状況下でおこなわれていた可能性があるため、外国人による日本の異文化に対する驚きや偏見を反映していると見なされています。
2-2-2.香辛料が豊富であるとされた理由
当時の日本は香辛料が豊富だとされたのも、事実と異なります。当時の日本がアジア貿易の重要な拠点であったため、さまざまな香辛料が輸入され流通が活発だったことが、これらの誤解を生んだと考えられています。
黄金の国ジパングとして知られる日本は、13世紀にマルコ・ポーロが記述した伝説的な国として、とくに金が豊富であるとされています。一方で、実際には日本に大量の金鉱が存在していたわけではなく、ポーロが誤解した可能性も高いです。
2-2-3.矛盾する情報が生んだ誤解
東方見聞録ではジパングの人は外見が良く、礼儀正しいと記されていたため、矛盾する情報が生んだ影響もあります。島国の日本は貿易が限られており、当時は謎の多い国としての印象が強いです。
結果的に、神秘性によって事実の文化と異なる誤解を招き、より一層ミステリアスなイメージを際立たせました。
3.黄金伝説とジパングの世界中に広がる位置づけ
黄金伝説とジパングの世界中に広がる位置づけについて紹介します。
- ジパングがヨーロッパに与えた影響
- 黄金伝説の普遍性とジパングの特異性
それぞれ解説します。
3-1.ジパングがヨーロッパに与えた影響
ジパングの存在は、ヨーロッパの探検、貿易、文化に多大な影響をおよぼしました。とくに、ヨーロッパ人の東方への関心を高め、大航海時代の探検や貿易の動機とされています。
主にコロンブスやバスコ・ダ・ガマなどの探検家たちは、ジパングを目指して航海をおこない、新たな航路の発見や新大陸の到達につながっています。また、ジパングの黄金伝説は、ヨーロッパの文学や芸術にも影響を与え、シェイクスピアやダンテなどの作品にも影響をおよぼしました。
3-2.黄金伝説の影響とジパングへの関心
マルコ・ポーロの『東方見聞録』に登場する「黄金の国ジパング」は、ヨーロッパで広く知られた黄金伝説の一例です。この黄金伝説は、世界各地に存在する豊かな黄金の国に関する物語のひとつとして位置づけられます。
しかし、ジパングはとくに日本を指すとされ、具体的な描写や地理的な位置から、ほかの伝説とは一線を画しています。この特異性がヨーロッパ人の探検心を刺激し、後の大航海時代における日本への関心を高める要因となりました。
4.金の価値と現在の買取事情
金の価値と現在の買取事情を紹介します。
- 金の価値は昔も今も変わらない
- 現代における買取相場
ひとつずつ解説します。
4-1.金の価値は昔も今も変わらない
金の価値は昔も今も変わらず、古代から価値のある資産として認識されています。希少性や腐食しにくい性質、美しい光沢などの特性が通貨や装飾品として広く利用され、時代を超えて人々を魅了してきました。
そのため、金は現在の買取事情においても、安定した資産として評価が高いです。とくに地政学的リスクが高まる場合、投資家は安全資産として金を選ぶ傾向があります。結果的に金の需要が増加すると、合わせて価格も上昇します。
4-2.現代における買取相場
現在、金の買取価格はとくに高値を記録しており、数多くの貴金属店やオンライン業者が積極的に金を買い取りしています。金の買取相場は純度や重量、相場の変動により異なる一方で、近年、経済不安やインフレの影響を受けて金の需要は高まっています。
金の買取相場は世界の金価格の変動に影響され、1グラムあたりの買取価格が日々更新されるため、売却を考える際には最新の相場をチェックが欠かせません。インターネットで比較しながら業者を選ぶと、より高額で売却できる可能性があります。
5.金製品を売却する際のポイント
金製品を売却する際のポイントは、以下の3つです。
- 金の相場を確認する
- 買取実績のある信頼できる業者を選ぶ
- 付属品の有無を確認する
それぞれ解説します。
5-1.金の相場を確認する
金製品を売却する際、まずは金の相場確認が欠かせません。金の相場は日々変動しているため、売却するタイミングを選ぶことが、より高い価格で売るための鍵となります。
金の相場は、インターネットや金融ニュース、専門の貴金属取引所などでチェックできます。また、金の純度や重量も重要なため、正確に情報を把握しておくと買取価格アップが可能です。とくに貴金属の売却時は、相場に敏感になり、信頼できる業者を選ぶのが大切です。
5-2.買取実績のある信頼できる業者を選ぶ
金製品の買取では、買取実績のある信頼できる業者を選びましょう。とくに、同様の金製品の買取実績が豊富で、口コミ・評判の良い業者を選ぶのがおすすめです。
買取実績がある業者は、適正な価格で買取をおこなっているため、透明な取引が期待できます。また、インターネットでの口コミや評価をチェックする方法もあります。あらかじめ買取価格の相場を調査し、納得できる価格で取引を進めましょう。信頼できる業者であれば手続きもスムーズなため、安心して取引できます。
5-3.付属品の有無を確認する
金製品の売却時は、ジュエリーや時計などの元々の箱や保証書、鑑定書などの付属品が揃っていると、買取価格が高くなるケースもあります。また、付属品があると製品の価値を証明する材料として評価されるため、売却時に有利に働きやすいです。
加えて、高価なブランド品や限定品は付属品が整っていると需要が高くなるため、査定額がアップする場合もあります。金製品の売却前は、必ず付属品を確認して整えておくことがおすすめです。
6.まとめ
黄金の国ジパングは、 13世紀のヴェネツィア商人マルコ・ポーロが記した「東方見聞録」に登場し、それが日本であるという説があります。
日本と世界における黄金の国ジパングの事実が合致する部分や、異なる部分もある一方で、金の価値自体は資産価値があるため昔も今も変わりません。この記事を参考にして、金の価値と現在の買取事情を正確に判断していきましょう。
玉光堂では、純金・24金をはじめとした金の高価買取を実施中です。金の売却を検討している方は、ぜひ玉光堂の高価買取をご利用ください。
玉光堂の選べる買取方法